「佐藤、起きろ!授業だぞ!」
佐藤 重和
日中友好会館 前理事長
50年前、ビジネスマンだった私の父は熱く語っていました。「これからは中国の時代だ。」田中首相が訪中し、日中国交正常化が実現したことを伝えるTVの画面を前にして私にそう説きました。
大学生時代、何でも親の言うことには反対し、頭も長髪、車を乗り回し、デモにも参加し、毎日朝帰りという私が何故かこの時の父の発言には反発できませんでした。
そして、その後、当時の「外交官試験」に合格し、専攻語学を選ぶ際、当時は誰もが英語、仏語を希望する中で、私は唯一人中国語をやりたいと手を挙げることとなりました。
今のように開かれ、発展した中国ではありません。いわゆる「文革時代」が続いており、男女みな短髪、紺かグリーンの人民服という時代でした。
上海の復旦大学に留学したのですが、外国人留学生20名の中で日本人は私ただ一人。毎朝私が寮で寝坊していると担任の先生(今で言う大学教授)が宿舎まで来て、「佐藤、起来!起来!上課了」(佐藤、起きろ!授業だぞ!)と叫んでくれました。宿舎では農民と解放軍兵士との3人1部屋で、彼らが何から何まで「指導」してくれました。今でも本当に感謝しています。
復旦大学留学中 居室にて(1976.10)
その後、1979年12月、大平正芳総理大臣訪中の際、外務省の担当者としてその訪中に同行し、総理の指示のもと、首脳会談での発言草稿を準備させていただきました。大平総理から日中友好交流の拠点を作ろうという発言があり、私も微力ながら現在の日中友好会館の礎を築くお手伝いが出来たのではと思っております。1989年には「六四天安門事件」で外国人では只一人最後まで天安門広場に残るという経験もしました。
外交官時代を思い出すと、外国との交流の基本は「真のふれあい」にありました。握手をしたり、抱き合ったり、時には喧嘩をしたり…。顔と顔が向き合った交流です。今は新型コロナウイルスの影響で、世界全体がフリーズしています。数年前までは日本国内の至る所で、中国からの団体旅行の方々が話す中国語が聞かれたものでしたが、今ではそれが聞かれなくなり、とても残念に思います。過去にも様々な理由で、
日中の往来がストップしたことはありましたが、国交正常化後において、これほど長期に交流が縮小したことはありませんでした。
交流が止まるということは、中国の方々が「真の日本人と会わない」ことでもあります。中国に限らず来日した方々は口々に、日本人は意外と親切ではないか、日本は美しい国ではないか、とおっしゃいます。人と人とが「真のふれあい」を通じて、その国の真の姿を知る――それはまさに、相互理解と相互信頼が育まれる瞬間といえるでしょう。
日中の良好な関係は、両国共通の利益であるのみならず、アジア及び世界の平和と安定に資するものです。日中友好会館は中国からの留学生受け入れ、日中青少年交流、日中文化交流をはじめとする諸事業を通じ「真のふれあい」を実現していきたいと考えています。
日中国交正常化50周年の節目を迎えるにあたり、日中両国関係の重要さに改めて思いを至し、さらなる深化へ向けた努力を惜しまず、職員一同邁進してまいります。今後とも皆さまのご支援・ご指導を切にお願いいたします。