「改革開放」がはぐくんだ日中の絆
加藤 青延
日中友好会館「文化事業」諮問委員会 委員
元NHK 中国総局長、武蔵野大学 特任教授
50年前の日中国交正常化で、上野動物園に2頭のパンダが贈られ、日本全体が友好ムードに包まれた。しかしその当時でさえ、その後の半世紀、両国がこれほど密接な関係を築くことになろうとは予想すらできなかった。
いまや中国は日本にとって最大の貿易相手国。 また中国にとっても国別では日本が米国に次ぐ第二の貿易相手国だ。 互いに切っても切れない関係そのものといえる。そして、そこまで両国関係を結び付けてきた原動力こそ、鄧小平氏が打ち出した「改革開放政策」にあると私は確信している。
もちろん過去には幾多の試練もあった。例えば、日本との関係を極めて重視した胡耀邦総書記の降格。また民主化運動に理解を示した趙紫陽総書記の失脚、つまり天安門事件は、日中関係の行方に激震をもたらした。
そのような事件が起きるたびに、私は決まって、中国国際信託投資公司の董事長だった栄毅仁全人代副委員長のもとを訪ね、教えを請うた。栄毅仁氏の答えはいつも明解だった。
「改革開放政策は、誰かが命令したからやっているものではない。それが必要だからやっているのだ。逆に誰かが命令してもやめさせることはできない」
確かに、その後も中国は「改革開放」の方針を変えなかった。中国の国民総生産(GDP)は、急速に増大し、2010年には日本を抜いて世界第二位の経済大国になった。ただ、中国のGDPの中には、日系企業が中国国内で稼いだ分も含まれている。両者が共に利益を得られる見事な態勢が構築された。つまり改革開放政策こそが、ライバルではなく、ともに手を取り合うパートナーの関係を産みだしたといえる。
最近、やや気がかりなことは、その「改革開放」という言葉が中国で以前ほどさかんには使われなくなってきたことだ。日中両国が互いを結びつける原動力を失えばどうなるのか。賢明な先人たちが築いた「改革開放」という知恵を、将来に引き継いでゆくことができるのか。日中国交正常化50周年の今、それが私の最大の関心事になっている。