「日中友好」のロールモデルとして

 日中友好会館の職員はおよそ40名。日中共同運営の理念のもと、中国代表理事のほか、中国政府派遣の職員3名が在籍している。日中友好会館は、日中双方の職員が「日中友好」の名のもとに集結し、協力して様々な事業を通じた取り組みを行う団体だ。その原動力には日中双方の職員同士の友好交流や、そこから生まれる信頼関係がある。
 入職して間もない頃、留学生事業部の陳世華部長から、当時発売されたばかりの村上春樹著『1Q84』の一節を読んで説明せよ、という課題を出された。日本人でも難解な文学作品を平気で読む陳先生の日本語レベルには正直驚いた。この入職後?試験はかなりキツかったが、その後は陳先生の飲み仲間に入れてもらえた。
 また、総合交流部の郭寧部長との話。「父親が中国人だからって、うちの子がいじめられたらどうしよう!」と心配する私に「沼﨑さん、あなたがそんなことではダメですよ。もっと自信を持って!中国人は偉大です!お子さんたちが自分の父を誇りに思えるよう、しっかり育ててください。」と励ましの言葉をくれた。これにはハッとさせられた。郭寧さんのご主人が来日された際には、他の職員たちとご自宅に招かれ、手料理をごちそうになった。
 鄭祥林中国代表理事、現地採用の中国人職員の皆さんとのランチ会にも参加した。一度も中国に行ったことがないという日本人職員たちも一緒に、国籍や職位なんてことは気にせず、おいしいものを食べながら、日本語と中国語が混じり合った愉快なおしゃべりを楽しんだ。
 後楽寮食堂の調理師さんたちとの思い出も忘れられない。サービス精神旺盛で、本場北京の葱油餅を作ってくれた劉朝陽さん、上野のアメ横まで一緒に太刀魚を仕入れに行った寡黙な職人気質の許祥さん、夏休みでご家族が来日した際にみんなで江ノ島観光をして我が家にも泊まっていただいた閻虎さん、笑顔が素敵でいつも明るく冗談をとばしていた殷建中さん等々。彼らが食堂で作る料理はいつも好評だった。
 各部横断型の交流は、それぞれの人となりを知る貴重な機会だったし、実際に仕事をする上で大いに助かった。まさに互いの足りないところを補い合う良い関係だ。皆さんが帰任された後でも、思い出はいつも心の中にある。仕事で多少嫌なことがあっても、私を支えてくれている。それぞれの職員がそれぞれの交流体験を持ち、それを励みに職務に就いているのだ。
 中国政府派遣の職員の皆さんの任期は2年程度。その間、家族と離れて暮らさなければならない方もおり、慣れない日本暮らしという不便を強いている。日中友好会館のこれまでの発展は、皆さんの貢献の上に成り立っていることを忘れてはいけない。
 そして、日中友好会館の職員であるこの私は、日中国交正常化100周年へ向けて、日中友好の増進という与えられた使命を果たしていくために「日中友好」のロールモデルとして、社会を牽引する存在でありたいと思う。

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