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■留学生通信■ 後楽寮で暮らす中国留学生たちの声をお届けします

中国留学生のための寄宿舎「後楽寮」の運営は、日中友好会館の公益事業の一つです。
長年にわたり中国留学生の家として親しまれ、1985年3月、(財)善隣学生会館からの歴史を受け継ぎ、日中友好会館別館 後楽寮として新たな一歩を踏み出しました。
ここで暮らし巣立っていった中国の若者たちは5,000名に達し、中国国内外の様々な分野で活躍しています。
日本と中国の新たな友好関係の構築に貢献し続ける後楽寮。
日中友好会館は、日本で勉学に励む中国留学生の皆さんの奮闘を支えています。その後楽寮で暮らす留学生たちの声をお届けします。

 2019年9月、留学への憧れと憧れを持って来日しました。新型コロナウイルスの流行が世界を襲い、誰しもが危機に瀕していた12月、後楽寮の居室で研究をすることが当たり前になりました。
 この新型コロナウイルスの影響があっても、私が当初夢見ていた生活が半年も経たないうちに叶いました。夢と現実の間の微妙な気持ちが、現在の私の留学生活です。来日する前に、私は既に後楽寮に住むと決めていました。風光明媚な小石川後楽園の近くに建つ後楽寮は、交通の便もよく、銀座、新宿、池袋などの繁華街まで電車で30分もかかりません。

 当時は、銀座、新宿、池袋などの大都市が、自分の家の前にあるという感覚をもっていました。後楽寮から簡単に行ける距離にあり、これらの場所で買い物をしたり、日本の習慣を体験したりすることができると思っていました。普通の日本人学生と同じようにアルバイトをして、仕事や勉強の苦労を学ぶこともできます。
 9月上旬に日本に到着したときは、いろいろな書類の処理や日用品の購入で忙しく、まるで荒野に一人で投げ出された旅人のようで、すべてのことを一人で開拓していました。11月頃からゆっくりと周囲の環境に慣れ、のんびり地図を広げて探索し始め、毎日、週末はどこに行こうか、どこの名所(聖地)を訪ねようか、と計画できるようになりました。
 留学期間中、幸運にも学校主催の富士山旅行に参加できました。アニメで見た美しい世界の中に自分がいるような感覚でした。新型コロナウイルスの猛威が世界を襲っても、美しい風景は常にそこにあります。居室で研究をしていても、人間の生活は基本的には変わりません。潤いのない生活にあっても自分の楽しみをたくさん見つけて、一人で抵抗するのです。留学も言い換えれば、他の国に行って隔離生活をすることと同じです。この生活に慣れれば、道端の花や植物からも人生の楽しさを発見することができるのです。
(東京大学大学院工学系研究科 精密工学専攻)

 もう3年か。後楽寮に拾ってもらってからは。
 ちょうど3年前の今頃、三十路を迎えたばかりの私が今までの、いわば行き当たりばったりの人生に彷徨ったあげく、このこじんまりとした部屋に迷い込んだ。「よくこの歳で留学に挑んだね、勇気あるね」とか言われるが、実は現実逃避の臆病者に過ぎない。今度こそやり直すぞと思ったら、いきなりコロナ禍に巻き込まれてしまって、やっと居場所に辿り着いた、とほっとできたのも、ほんの一瞬しかなかった。そのまま、無駄に窓ガラスの上をぐるぐる回って外の世界に行こうとする蝿のように、どうしようもない焦りが続いていたのだ。
 このままではいけないと分かっていた。何しろ窓の正面にある木(私は勝手にその木のことをタイムキーパーと呼んでいる)が春、夏、秋、冬が往来しているのを黙々と教えてくれているのだ。タイムキーパーは身の置かれる境遇を顧みもせずにただただ芽を出し、葉をつけて、花を咲かせることに没頭しているのだ。自分のミッション

を一つ一つ丁寧にこなしていくその佇まいから命の逞しさ、尊さが伝わる。その無言の励みに感動を受け、長年多くの留学生を送り出しているこの後楽寮ならではの力を借りて、自分の可能性を最大限に引き出していこうと踏ん張った。
 食堂でアルバイトしたり、寮生委員に立候補したり、春節祝賀会の司会を担当したり、コロナ禍に縛られながらオンライン日本語教室を開いたり等、貴重な思い出を重ねてきた。これからも常に感謝の気持ちで、後楽寮のおかげでチャレンジできたこと、出会った絆を糧にしてタイムキーパーのように何にも動じずに自分らしく生きていこうと思う。
(早稲田大学大学院文学研究科 日本語日本文学専攻)

 2年前、私は飛行機に乗り、中国の青島から東京に着きました。当時の私にとっては、すべてが新しく未知のものでした。成田国際空港にゆっくりと着陸したときの不安を今でもはっきりと覚えています。
 しかし、空港の出口で指導教授の松崎浩之先生に会った時、私の不安はすぐに消えてしまいました。現実生活で松崎教授に会ったのは、あのときが初めてだったのです。松崎教授は私の名前が書かれた看板を持って、出口をじっと見つめていました。私を見つけてすぐに、彼お決まりの笑顔を見せてくれました。この先、

ほぼ毎日見ることができたこの笑顔で、本当に安心し、心が暖かくなりました。
 成田空港から後楽寮までは車で約1時間で、おしゃべりをしていたらすぐに到着しました。入寮書類等の資料を受け取り、部屋の荷物を片付けた後、後楽寮生でもある同じ研究室の先輩がドアをノックして、一緒に夕食をとろうと誘ってくれました。何人かの寮生が車座になって一緒に座り、火鍋(中国式の鍋)をごちそうしてくれました。おしゃべりして笑いあったりしながら、熱々の牛肉を食べて胃を温め、外国に来て不安な心を慰めてくれました。
 それから2年が経ち、授業を受けたり、研究調査を行ったり、サンプルを採りに行ったり、交流活動に参加したり、寮生委員にもなったりしました…。たくさんの友達と出会い、たくさんの活動に参加し、たくさんの仕事を終えることができました。
 今になっても初めて東京に来たときに感じた暖かさが、私の人生の中で何度もよみがえってくるのです。
(東京大学大学院工学系研究科原子力国際専攻)

 日本で勉強している間、幸運なことに、東京でいつでも日本で勉強している間、幸運なことに、東京でいつでも祖国を感じることができる後楽寮に住むことができました。後楽寮での豊富で多彩な文化交流活動は、私を含めた多くの学生の生活をより豊かにしてくれます。
 新型コロナウイルス流行の前には、毎年恒例の後楽寮国慶節祝賀パーティと春節祝賀パーティがありました。私と同じ研究室の寮生とで、何人かの友人をそれらのパーティに招待したことがありました。私たちの歌や踊りを通じて中国文化を知ってもらうと共に、中国留学生たちの声を届けるためです。歓声や笑い声を通じて、お互いの理解が深まりました。
 春の桜と秋の紅葉を眺めながら、誰もがその季節を感じ、自分の周りにある草や木の美しさを認識します。後楽寮で過ごす間に、留学生事業部の先生たち、受付のおじいさま方、食堂のコックさん、寮生たちにたくさん助けてもらいました。後楽寮は、

一人ぼっちで東京にいる私に、自分の家があるような感覚を与えてくれました。
 新型コロナウイルスの流行が早く終わることを願っています。近い将来、マスクを外して、お互いの笑顔を見せ合える日が来ることでしょう。
(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命工学専攻)

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