文化は政治を超える
青樹 明子
日中友好会館 理事
ノンフィクション作家
これは、日中関係が氷河期と言われた時代の出来事です。
「私の名前は“おにぎり” です」
北京でクールジャパンを取り上げるラジオ番組を放送していた頃、彼女は熱心なリスナーだった。当時高校生で大学受験を控えていた彼女は、親の目を逃れてカーテンの陰でカセット録音し、毎日通学の時に番組を聞いていたという。毎週のようにくれた手紙は、底抜けに明るい内容で、私はその手紙が大好きだった。
しかし、明るい手紙の裏には、悲しい現実があったことを後に知る。
「当時私はとても孤独でした。性格は暗く、太っていたので、クラスの男子からイジメの対象にされました。友達は一人もいなくて、クラスメートの名前すら知りませんでした」
そんな彼女がラジオを通じて「日本」と「日本文化」に触れた。
「X JAPAN、GLAY…J-POPは大好きになりました。番組を通じて、初めて友達ができました。日本文化と日本を愛好する友達が、私を孤独から救ってくれたのです」
その後彼女は大学に進学する。選んだのは「日本語学科」で、日本に留学も果たした。
彼女と彼女が私にくれた手紙は、私の宝物だった。
彼女のように、純粋に日本文化を愛してくれる中国人がいたから、何があっても、日中文化交流を続けて来られたように思う。
そんな私の宝物が、昨年6月半ばのある日、突然旅立った。まだ三十代である。
彼女の遺品整理をしていらしたご両親が、「娘の携帯に大量のデータが残っている。日本語なので何が書かれているのかわからない。訳してくれないか」と連絡があった。見ていたら、それらはすべて日本のアニメや音楽などの情報と、ネットでの予約注文の履歴だった。
最後の最後まで、彼女は日本を愛し、大好きな日本文化に囲まれながら逝ったのである。
彼女が頻繁に手紙をくれた、その番組が放送されてから、すでに20年が過ぎた。おにぎりさんを孤独から救ったリスナーたち、すなわちおにぎりさんの仲間たちは、今なお、SNS上で集う。
文化は政治を超える、と気づかせてくれたのは、彼ら、そして彼女たちだった。文化交流の神髄はここにある。
饭团子,失去了你姐姐非常难受。。