友好の基本に戻り、その意味を見直したい
小松 健次
日中友好会館 理事
日中学院 学院長
写真:中国・九寨溝にて(2015年)
私が中国を初めて訪問したのは1983年であった。海南島沖で石油開発が行われ、その日系石油会社の事業に対する資材の供給に携わった頃であった。当時は中国の方々の多くは人民服を着ており、外国人は外貨兌換券という通貨を使用し、ローカルの飛行機は旧ソ連製のプロペラ機であった。ただし外国人は珍しいのか、地方都市では興味深げに人々から見られていたように思う。衛生状態も大変悪く、日本からの出張はかなりストレスのかかるものであった。
その後、2000年になって久方ぶりに大連に出張したときは、その変貌ぶりに驚愕したのをよく覚えている。その後、これは中国語も少しはできるようになって中国の人々と直接話せるようになりたいと日中学院の別科でしばし勉強した。相変わらず出張は北京や上海が中心であったが、個人的な旅行では各地の名所旧跡を訪ねた。九塞溝、張家界、桂林、昆明、西安などなど、自然も文化遺産も素晴らしいものばかりであった。もちろん、その間いろいろな中国の方々と交流する機会も得て、また、大変お世話にもなった。
その時感じたのは政治的な問題は両国間にいろいろあるものの、一般の人々はそのことにこだわりがあるわけでなく、ごく普通に接してくれたということである。日本人と中国人は違いはあるものの、アジアの人間として似ているところもいっぱいあり、日本に対する関心も高く、行動の仕方はむしろ日本人より合理的にも思える。日本における報道は事実を伝えることに主眼を置いているものの、どこか、関係の悪い部分を強調しているように思えてならない。もっと虚心坦懐に個々の人間として接し、交流できるようになれば双方の誤解が解けていくに違いないと考える。
日中学院のモットーは日中友好の懸け橋になるということだが、自分の言葉で話し、直接相手に聞いて交流するという基本に戻り今一度、友好の意味見直したいと切に願っている。